自己紹介
こんにちは、シドニーマンです。
今回は、私自身の事を知ってもらおうと思います。
私は現在アラフィフおやじですが、今から20年以上前にワーキングホリデー制度を利用し渡豪しました。今のワーキングホリデー制度のように、条件を満たせば、2年目(セカンドワーキングホリデー)、3年目(サードワーキングホリデー)が取得できるわけでも無く、1年物しかなかった時代です。
日本に居たとき
日本に居たときは、小学校、中学校、高校、専門学校と卒業し、地元の飲食関係の会社(工場)に就職しました。海外には興味がありましたが、ですが就職してしまえばその機会はなかなか無い。そう思っておりました。ですが、阪神大震災があり、自分の友達や知り合いがその被害に合ったのを目の当たりにして、”このまま、この会社にいて良いのか?”と自分の将来を考えるようになりました。
その時見つけたのがワーキングホリデー制度。1年は海外に居ることが出来、現地で仕事(アルバイト)も出来る。そこそこの貯金額があれば、ビザを取得するのは難しくない。と当時の私でもそれほどキビしい条件ではなかったので、人生で海外に住んだりできるのは今の内だけ、また海外で働くことって日本で働くこととどれだけ違うのか。人生経験と思いワーキングホリデービザを取得しオーストラリアに渡豪しました。
オーストラリア国内で使用できる、
オーストラリアポケットWiFiルーター【オージーデータ】
オーストラリアでは
ワーキングホリデー期間中
ワーキングホリデー期間中は、語学学校に通ったり、ケアンズの北にあるポートダグラスという小さな町にある日本食レストラン(住み込みでキッチンで働きました。)で働いてみたり、車を購入して何週間もかけてオーストラリア東海岸からエアーズロックまで旅してみたりとそれなりに楽しみましたが、仕事をするのなら大都市シドニーかなっと思いシドニーに行き、そこで仕事を探しました。
シドニーにて
英語は出来ませんでしたが、日本食レストランキッチンに入れば英語は必要ないので問題ない事はポートダグラスで働いたときに分かっていたので、後は行動力のみ。仕事があり、そこがスポンサーになってくれ日本の職歴があれば、ビザの延長も出来ることをシドニーで知りました。それで当時働いていた日本食レストランのオーナーと話し合い、ビザのスポンサーになってもらい、ビジネスビザ、永住権と取得しました。その後、自分の経験値を上げるためいろいろな日本食レストランで働き、日本人以外の国の人たちとも働きました。おかげでそれなりに英語能力も上がりました。
私は現在、アラフィフおやじで家族は嫁(日本人)、5歳になる娘(こっち生まれで日本語と英語を使える)と共にオーストラリア、シドニー郊外に住んでおります。
今も日本食レストランで現役で働いております。
簡単に書けばこんな感じですが、未だ現役で働いているので、海外就職(特にシドニーでの就職)、転職、独立を考えている人たちには何か役に立つ情報を配信できるのではないかと思い、このサイトを立ち上げました。
私自身のオーストラリア飲食業界での経験が参考になればうれしいです。
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